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東京高等裁判所 昭和50年(う)460号 判決 1977年6月14日

主文

原判決を破棄する。

本件公訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人後藤孝典、同鈴木一郎、同山口紀洋及び同錦織淳が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は検察官大津丞が提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中事実誤認の主張について

一坂内信に対する傷害

原判決挙示の関係証拠によれば、水俣病による損害の補償を求め、チツソ株式会社社長ら同社首脳と直接交渉をするため、東京本社に赴き面会を要求していた水俣病患者及びその支援者と、これを阻止しようとする同社社員及び子会社の従業員との間で昭和四六年一二月以降しばしばこぜりあいが繰り返されていたが、チツソ石油化学五井工場の従業員で警備を命ぜられていた坂内信は、昭和四七年七月一九日同僚四〇数名と共に午前八時ころから原判示の東京ビル内の本社で待機し、八時五〇分ころ北側階段四階踊り場付近で社員が出勤を妨害されているとの報せを受けて同所へ赴いたところ、四、五名の社員が一七、八名の患者や支援者に取り囲まれていたので近ずくと反対に押し返され、さらに支援者の一人に胸ぐらをつかまれて引つ張られそうになつたので防いでいると、左前にいた被告人がきて右腕をつかみ肩のつけねの下の内側あたりに咬みついてきたこと、坂内は咬みついているのをはずして再び支援者の方に押し入つたところまた押し戻されたうえ、班長の海老名が引きずりこまれたのに続いて坂内も支援者の一人に右足を引つ張られ、引きずりこませまいとして同僚が後ろから抱えている時、被告人が支援者の一人と一緒になつて坂内の左足首をつかんで引つ張り、宙ずりになつた坂内の左側にきて胃のあたりを手拳で二度続けざまに殴つたこと、同人はその日のうちに目黒区内の友愛病院で治療を受け、右上腕部咬傷等の傷名で加療約二週間との診断を受け、この傷が癒えるまで約二週間かかつたこと、以上の事実が認められ、右事実によれば原判決の認定は正当である。

二下田義孝に対する傷害

原判決挙示の関係証拠によれば、チツソ石油化学五井工場の従業員下田義孝は、昭和四七年七月二〇日午前八時ころから約四〇名の同僚と共に東京ビル五階廊下の北側階段付近で五列の隊列を組んで警備についていたが、八時二〇分ころ被告人が支援者四、五名ときて前列の者を引き抜こうとしたので、下田が引つ張り返せと言うと、被告人に腕をつかまれ、互いに引つ張り合ううち隊列がくずれて下田が六階の方へ逃げていくと、被告人が追いかけていつて下田をつかまえ、支援の者もきて同人の肩をつかんで身動きできない状態にしたうえ、同人の左大腿部内側に被告人が咬みついたこと、下田が身をふりほどいて逃げ出そうとするとすぐ被告人らにつかまり、今度は被告人から顔や頭を殴られ、支援の者にも蹴られたりして、ようやく五階廊下まで逃げていくと、ここでも追いかけてきた被告人につかまり、後ろえり首をつかまれて前の壁に打ちつけられたこと、下田はそのあと友愛病院で治療を受け、加療約一週間を要する左顔面打撲症、左大腿部咬傷等との診断を受けたが、痛みがとれるまで約一週間かかつたこと、以上の事実が認められ、右事実によれば原判決の認定は正当である。

三中村和昭に対する傷害

原判決挙示の関係証拠によれば、チツソ石油化学五井工場の従業員中村和昭は、昭和四七年七月二一日東京本社で約四〇名の同僚と警備につき、四階から五階へいたる踊り場で約二〇名が六、七名ずつ横になつてスクラムを組み、自らは最前列の左端にいて左手で階段の手すりをつかんでいたところ、八時すぎころ数名の支援者が五階から降りてきて前列の者の胸ぐらをつかんだり引つ張つたりし、その時被告人が降りてきて副木をあてた足を手すりにのせ、どうしてくれるなどといつたあと中村に近ずいてそこをどけといいながら手すりをつかんでいる同人の手をほどこうとしたが、できないのでその前腕部に咬みつき、中村がなおも手を離そうとしないので、今度は手首の上の方に咬みつき、同人が痛さに耐えかね手を離したすきに通り抜けて下へ降りていつたこと、中村はそのあとすぐに友愛病院へ行き、被告人に二度目に咬まれた個所の治療を受け、加療約一週間を要する左前腕咬傷と診断されたが、その後はじめに咬まれた個所が痛むので同月二六日五井病院で治療を受け、全治二週間を要する左前腕咬傷後遺症と診断され、痛みがとれるまで二週間以上かかつたこと、以上の事実が認められ、右事実によれば原判決の認定は正当である。

四河島庸也に対する原判示第四の傷害

原判決挙示の関係証拠によれば、チツソの人事部長で警備の責任者である河島庸也は、昭和四七年七月二一日午前八時ころから東京ビル北側階段四階踊り場付近で他の警備の社員とともにいたところ、午前八時一〇分ころ被告人が五階から降りてきて河島に対し、副木した足を示して文句をいい同人の胸や肩を突き、さらに踊り場の鉄格子の扉を閉めたり、これをとめようとする河島を蹴ろうとしたあと、副木をはずして手にもち三階の方へ降りようとして河島に制止され、このとき三階の方から支援の者が警備の者と揉み合いながら上つてきて四階の踊り場で河島を取り囲み、小突いたり顔を殴つたりし、その直後に被告人が副木で河島のうしろから頭部を殴打したこと、河島は午前一〇時友愛病院で治療を受け、加療三週間を要する後頭部打撲症と診断されたこと、以上の事実を認めることができ、右事実によれば原判決の認定は正当である。

五河島庸也に対する原判示第五の傷害

原判決挙示の関係証拠によれば、熊本地裁における水俣病損害賠償訴訟が昭和四七年一〇月一四日結審となり、同月二五日いわゆる訴訟派の人々がチツソ社長との面会を求めて東京本社を訪れ、自主交渉派の被告人やその支援者らも加わつて面会を拒むチツソ側と鉄格子をはさんで対峙し、数時間にわたつて騒然とした状態が続いたが、社員が集団退社したあと午後六時三〇分ころ前記河島庸也が帰ろうとしたところ、四階廊下で被告人や患者、支援者につかまつて廊下に座らされ、二、三〇名の者に取り囲まれて、口々に「患者の苦しみがわかるか」「社長に会わせろ」などと非難や罵声を浴びせられ、小突かれたり、引つ張られたりされたこと、このような状態は河島が警察官に救出される七時一五分ころまで続いたが、その間の七時すぎ河島をうしろから抱きかかえていた被告人が河島の左前に出てきて同人の左上くちびる付近を手拳で一回殴打したこと、このため河島はくちびるを切つて血を流し、同夜友愛病院で傷口を一針縫うなどの治療を受け、加療約一〇日間を要する口唇部挫創との診断を受けたこと、以上の事実が認められ、右認定は当審における事実の取調べの結果によつても左右されない。

所論は、河島の周りには人が密着していて同人のうしろにいた被告人が前へ出てこれる状況でなく、その場に居合せた者も皆被告人の暴行を目撃していないから、河島の証言は全く信用できないと主張する。しかし、河島の周りにいた人が時折移動していることや被告人が河島の左前付近で同人と対面している状況があつたことは、原審及び当審で取調べられた写真によつて認められるところであり、当時の現場の状況は本件認定の妨げとなるものではない。また、被告人の暴行は一回きりのもので、しかもそれは数十分にもわたり周りの多くの者が口々に非難を浴びせて小突いたり引つ張つたりする中での行為であるから、原審及び当審で当時の模様を証言した人々が被告人の暴行を目撃しなかつたとしても格別不自然ではない。河島の証言内容は明確であり、とりわけ「殴られた時私はさすがにカツとなつたので『川本さん何をするんですか、あなたが私に乱暴したのはこれで二回目ですよ』といつて、右手をのばして被告人のつけていたゼツケンを引つ張つてちぎつた」との証言部分は具体的、特徴的であつて河島の証言の信用性を裏付けるものである。そして、詳細な反対尋問にも十分耐えており、ことさら虚偽を述べたり事実を誇張して述べているとも思えず、河島の証言の信用性は十分肯定されるところである。その他所論にかんがみ記録を検討しても、原判決に事実の誤認はない。

第二控訴趣意中公訴棄却の主張について

一論旨と当裁判所の考え

(一)  所論は、本件公訴は、加害者制裁、被害者救済の公害法の法理に反し、かつ公平の原理に背き加害企業に一方的に加担してなされた差別的起訴で、違法であるから、棄却さるべきであるという。すなわち、水俣病発生以来その因果関係が次第に明らかになつていたのに、国、県は被害の発生を防止し、その拡大を阻止するための措置をとらず、水俣病による被害を一段と深刻かつ大規模なものとさせたが、これは行政上の怠慢というにとどまらず、違法な不作為として法的に非難さるべきであり、水俣病に対するとき国は加害者として自覚し、加害者制裁、被害者救済という基本的責務を果たし、正義を取り戻すことが求められているのに、本件起訴にあたつてはこれらのことが全く考慮されていない。一方、水俣病の原因物質を排出し、多数の死傷者を出したチツソ関係者に対しては、因果関係が明らかになつた後も何ら捜査がなされず、原判決後患者の告訴によつてようやく業務上過失致死傷の罪で起訴されたにすぎず、これにひきかえ、チツソに排水中止や漁業補償を求めた被害民及びその支援者に対しては些細な事実をとらえて起訴し処罰してきた。このような訴追側の偏頗差別的な取扱いはこれにとどまらず、その後チツソ石油化学五井工場における従業員の集団暴行事件や東京本社での自主交渉の過程における従業員の数々の暴行事件においても一貫しており、訴追側はこれら従業員に対して何の処罰も求めなかつた。被告人に対する本件の公訴提起も右の意図のあらわれであり、そればかりか本件起訴が自主交渉の継続中にその指導者に対してなされたことによつて、当時重要な段階を迎えていた自主交渉を困難にさせたもので、加害企業に加担する結果をもたらした。以上の事実のほか、自主交渉の正当性、本件行為の防衛的性格、被害の軽微性等を併せ考えると、本件起訴が反公序、反社会的であることは明らかで、高度の違法性を有するから、公訴は棄却さるべきであり、少くとも訴追の裁量を逸脱した公訴権の濫用として棄却がなされるべきであるという。

(二)  いわゆる公訴権濫用を問題とする場合、通常(1)客観的嫌疑なき起訴(2)訴追裁量を逸脱した起訴(3)違法捜査に基ずく起訴の三者に分類されていることは周知のとおりである。そして、本件が右の客観的嫌疑なき起訴の場合でないことは、事実誤認の控訴趣意に対して判断したとおりであり、また本件各事実に対する捜査の手続に違法不当と考えられる点がないことも記録上明らかであるから、右の(3)の場合にも一応あたらないといえよう。所論は、本件起訴が単に訴追裁量の逸脱にとどまらず、公訴の提起自体が違法であるとして独立の公訴棄却の理由を主張するが、その趣旨は、さきに摘記したように、公訴の提起が正義と公平に反する不当偏頗なものであるというのであるから、従来差別的訴追について論ぜられてきた領域、すなわち前記(2)の訴追裁量の逸脱の問題として考えることができるし、こうした取扱いは公訴権の行使について規定する法条(刑訴法二四八条、三三八条四号)に即して処理できるのでより有用であろう。従つて、本件では被告人に対する公訴の提起が訴追裁量を逸脱した公訴権の濫用であるかどうかが検討されることになる。

(三)  思うに、公訴の提起は検察官の専権に属し、しかも公訴を提起するかどうかは検察官の裁量にゆだねられている。検察官の起訴、不起訴の処分は、刑訴法二四八条が例示する諸事項を基礎に、種々の政策、理念を考慮してなされる合目的的判断であるから、その権限の行使にあたつては相当広範囲の裁量が予定されている。他方、右の処分は、関係者の利害と深刻に結びついた重要な訴訟行為であり、しかも国家を代表し正義の顕現につとめるべき検察官の行為であるから、そこにはおのずから一定の制約があることも否定できない。そして、裁量による権限の行使である以上、その濫用はあり得るし、場合により権限の濫用が甚だしく、とくに不当な起訴処分によつて被告人の法の下の平等の権利をはじめ基本的人権を侵害し、これを是正しなければ著るしく正義に反するとき、右の侵害が刑事事件として係属することによつて、現実化している以上、裁判所としてもこの状態を黙過することは許されず、当該裁判手続内において司法による救済を図るのが妥当である。従つて、公訴権濫用の問題は、刑事司法に内在し、裁判所の権限に属する判断事項というべきで、このことは、検察官の処分も憲法八一条の「処分」に該当し、司法による審査、抑制の対象となると解されることからも肯定されよう。検察官の不起訴処分に対しては、準起訴手続や検察審査会の制度があり、これによつて不当な不起訴処分は是正されようが、起訴処分に対しては、予審や大陪審の制度もない現行刑訴法のもとでは、直接これを控制する刑事手続上の制度は存しない。従つて、公訴権濫用に対する救済の方法は、起訴処分に対する応答の形式を定めた刑訴法三二九条以下の条文に依拠して決められるが、訴追裁量を著るしく逸脱した公訴の提起は直接には起訴便宜主義を定めた刑訴法二四八条に違反するものであるから、同法三三八条四号にいう公訴提起の手続の規定に違反したものとして、同条による公訴棄却の判決がなされるべきであると考える。そこで、以下において、本件が公訴棄却を招来すべき公訴権の濫用にあたるかどうかを検討することとなるが、本件で特有なことは、所論の骨子をなす差別の問題が同種他事件あるいは同一事件内の被疑者相互の比較というのではなく、公害を契機に対立する当事者、すなわち公害のいわば加害者側と被害者側との間の取扱い上の差別ということであり、そこには今日の社会における宿命的矛盾ともいうべき公害の問題が介在している点に二重の特徴を有している。なお、公訴権濫用の問題は、不当な訴追から被告人を救済することにあるから、検察官において、意図的に、又は、著しい怠慢により、法の下の平等に反する偏頗な公訴の提起がなされたような場合は、右の処分は無効というべきであるけれども、そこにはやはり、検察官の故意又は重大な過失という主観的要素が必要とされることは、いわゆる権利濫用の一般原則から考えて、やむを得ないことであろう。しかし、検察官の公訴提起の処分は、強大、かつ、密行性の公機関が行使する捜査権を背景とするものであるから、かかる主観的要素は、背景となる客観的事実の集積から、これを推認する以外にはなく、かかる客観的外部的事実に照らし、公訴提起の信頼性が合理的裁量基準を超え、しかもその程度が、憲法上の平等の原則に牴触する程度に達していると判断される場合には、事実上の推定に基づき、検察官の故意又は重大な過失の存在が証明されたといつて妨げない。

二事実

原審及び当審で取り調べた証拠を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  水俣病とこれをめぐる訴追

1 水俣病

水俣病の発生は古く昭和二八年にさかのぼるといわれる。当初奇病としてあらわれた水俣病は、その後熊本大学医学部水俣病医学研究班の調査により「チツソ水俣工場の廃液に含まれていたメチル水銀によつて水俣湾及びその付近の魚介類が汚染され、これを長期かつ多量に摂取した付近住民が罹患した中毒性中枢神経疾患である」旨究明され、次いで政府のいわゆる公式見解によつて認知されるまで一五年の歳月を要した。その間も水俣湾及びその周辺の不知火海は汚染され続け、多数の患者の続発とともに二〇数名の胎児性水俣病患者の発生をもみるに至つた。チツソの水銀廃液の放流は、漁民達のたび重なる抗議によつても中止されず、昭和四三年五月千葉工場において水銀を用いないエチレン法によるアセトアルデヒドの製造能力が増加したことにより、水俣工場におけるカーバイド法による製造が不要となつて停止されたことにともない中止されたが、水銀により汚染されたヘドロは除去されず、今なお水俣湾内の魚介類は食することができない状態にある。そして、水俣病として認定された患者は、昭和五〇年四月現在約七〇〇名、うち死亡者は一〇〇名を超えており、認定申請者は三〇〇〇名に及んでいる。

2 水俣病究明の過程

かかるチツソの所為について、昭和五一年五月四日当時のチツソの社長と水俣工場長が業義上過失致死傷罪で起訴されるに至つたが、捜査及び行政の端緒というべき観点から、水俣病の因果関係が究明されていつた過程をたどれば、次のとおりである。

(1) の熊本県水産課技師の調査

昭和二七年八月技師三好礼治は水俣工場の廃水調査をし「百間港にカーバイド残渣が多量に堆積し工場の重要問題となつている、汚水と残渣のため漁獲が減少してきている、貯留残渣が沖へ広がるおそれがある、排水を分析して明確にすることが望ましい」と復命書を熊本県へ提出した。

(2) 熊本大学水俣病研究班による重金属説の発表

昭和三一年一一月同研究班は中間報告会で「水俣病は水俣湾産の魚介類を摂取することによつて生ずる中毒症であり、その原因物質はある種の重金属である」旨発表した。

(3) 参議院社会労働委員会における国立公衆衛生院疫学部長の発言

昭和三二年五月松田心一疫学部長は同委員会において「熊大の研究班は工場廃水も一応疑つて研究を続ける必要があるとして土壌、海水を分析している」旨説明した。

(4) 熊本県水産課技師の調査

昭和三二年三月技師内藤大介は百間港一帯の漁業被害の調査をし「この一帯の漁獲は皆無で漁民はこの付近で魚介類をとることに恐怖を感じており、奇病発生が今後も予測されることからその困窮状態は甚だしい、二九年以来海況の変調はひんぱんにあり、奇病問題としてとりあげられる以前海岸に漂着した魚類をひろい食用に供した者は多いということである」と復命書を県へ提出した。

(5) 参議院社会労働委員会における厚生省環境衛生部長の発言

昭和三三年六月尾村偉久環境衛生部長は同委員会において「水俣病はある種の金属による脳症を起こす中毒であり、発生源はチツソの工場が一番推定される」旨説明した。

(6) 厚生省公衆衛生局長通達

昭和三三年七月厚生省は同局長名で通産省、熊本県知事等関係行政機関に対し「これまでの研究成果より、チツソの工場の廃液物が港湾泥土を汚染し、魚介類が廃棄物中の化学毒物と同種のものによつて有毒化し、これを多量に摂取することによつて発症することが推定される一旨の通達を出して協力方を要請した。

(7) 操業禁止の指示

昭和三三年八月熊本県経済部長は八代海沿岸各漁協等に対し水俣病等の危険海域での操業を行わないよう指示した。

(8) 熊大研究班の有機水銀説の発表

昭和三四年七月同研究班は県及び水俣工場関係者の出席のもとに会議を開き「水俣病は現地の魚介類を摂取することによつて惹起される神経系疾患であり、魚介類を汚染している原因毒物はある種の有機水銀である」と発表した。

(9) 厚生省食品衛生調査会の答申

昭和三四年一〇月水俣食中毒部会は同調査会に対し「水俣病は有機水銀中毒に酷似し、水俣湾底の泥中の水銀が魚介類を通じて有毒化される機序を明らかにする必要がある」と答申し、同調査会は同年一一月厚生大臣に対し「水俣病は水俣湾及びその周辺に棲息する魚介類を多量に摂取することによつて起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」と答申した。

(10) 通産省指示

昭和三四年一〇月通産省はチツソに対し廃水を水俣川口へ流出させることを即時中止するよう指示した。

(11) 参議院社会労働委員会における厚生省公衆衛生局環境衛生部長の発言

昭和三四年一一月聖成稔環境衛生部長は同委員会において前記(9)の答申の結果を説明した。

(12) 入鹿山教授の発表

熊大入鹿山且朗教授は昭和三七年四月日本衛生学会総会において「水俣工場より排出されると考えられる有機水銀と水俣病有機化機転」を発表し、さらに昭和三八年二月熊大研究班の会議で「水俣病の原因物質と考えられる有機水銀化合物をチツソ工場より採取したスラツジより抽出した」と発表した。

(13) 政府見解の発表

昭和四三年九月厚生省は「水俣病は水俣湾の魚介類を長期かつ多量に摂取したことによつて起こつた中毒性中枢神経疾患であり、その原因物質はメチル水銀化合物であり、チツソ水俣工場のアセトァルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が工場廃水に含まれて排出され、水俣湾の魚介類を汚染し、その体内で濃縮されたメチル水銀化合物を保有する魚介類を地域住民が摂取することによつて生じたものと認められる」との公式見解を発表した。

3 チツソの不訴追

被告人川本に対する本件起訴は昭和四七年一二月二七日に行われたものであるが、それまでチツソの所為について関係者を訴追した事実はなく、本件に対する原判決後ようやく業務上過失致死傷罪で起訴されたことは前述のとおりである。この起訴の内容は、前記2の(2)ないし(8)の事実関係をもとに、被告人らには工場排液を排出しない措置を講ずべき業務上の注意義務があるとし、被告人らは右の注意義務を怠り昭和三三年七月から昭和三五年八月ころまで工場排液を排出した結果、胎児性患者一人を含む六名の者を水俣病に罹患させ、うち五名を死亡させたというもので、過失の基礎をなす事実関係は当時既に明らかにすることができたものばかりであつて、冒頭陳述書や取調べ請求された証拠の標目を検討しても、水俣病発生後二〇数年を経過した時点まで起訴を待たなければならない事情は見出すことができない。その間の事情を知るため、当裁判所は熊本地方検察庁と熊本県警察本部へ前記2の諸事項の覚知の有無及びこれに対する対応の仕方について照会したのであるが、実質的な回答が得られなかつたので、当時具体的に捜査がなされたと認むべき資料はないが、チツソに対する今回の起訴が、昭和五〇年四月一七日以降チツソ幹部を被疑者とする殺人等告訴、告発事件を東京地検より五回にわたつて移送受理し、同年一一月二九日熊本県警察本部より業務上過失致死傷事件の送致を受けたことに基ずくものである(当裁判所の照会に対する熊本地検の回答による)ことを考えると、これまで起訴をしなかつたのは告訴、告発がなかつたからというのが理由といえば理由であろう。しかし、業務上過失致死傷罪が告訴、告発をまたなければ論ぜられない事件でないことはいうまでもない。この点捜査側の対応の一端を知る事情として、昭和三四年ころ熊大研究班長世良完介が熊本地検検事正に「工場を捜索して廃液を押収してくれ、海に毒を流して犯罪にならぬことはあるまい」と言つたところ、検事正は「原因物質がはつきりわからぬと捜査に乗り出すわけには」と答えたこと、昭和三八年二月入鹿山教授の前記発表のあと、熊本地検検事正は「今のところ検察庁としてはどうするかなんともいえない、これまでは医学的なはつきりした原因がわからず手のつけようがなかつたが、医学的研究の結論がでれば結果しだいでは大いに関心をもたねばならないであろう」と語つていること、昭和四三年九月熊本県警察本部長は県議会において「業務上過失致死傷罪はすでに時効がかかつているが、新らしい事実が出た時点において詳細に検討してみたい」と答弁していること等を指摘することができる。

4 被害民の訴追

水俣病の発生以来、水俣湾及びその周辺の魚が売れなになつたり、魚価が著るしく低下し、漁民の生活は次第に困窮していつたが、この原因がチツソの排水にあると考えた漁民達は昭和三二年一月チツソに対し汚悪水の放流中止を申し入れ、昭和三四年には水俣漁協や周辺漁協及び熊本県漁協がしばしばチツソに対し工場排水の中止を求めて激しい抗議行動を行つたが、このうち昭和三四年一一月二日不知火海沿岸の漁協組合員数百名が水俣工場に乱入し窓硝子や什器類を損壊した事件につき組合長三名が執行猶予付の徴役刑に、組合員五〇数名が罰金刑に処せられた。さらに本件起訴後ではあるが、昭和四八年八月支援者の一人が水俣工場前で警察官に罵声を浴びせて逮捕、勾留され、拘留に処せられたことがあり、昭和五〇年九月認定申請患者と支援者四名が熊本県議会の公害対策特別委員会委員長のニセ患者発言に関し委員会に入ろうとして生じた事件につき、公務執行妨害等で逮捕、勾留され、起訴されている。

(二)  自主交渉とこれをめぐる訴追

1 自主交渉の経緯

チツソ工場廃液による被害の補償は、水俣病発見以前から漁業の被害に対して行われていたが、昭和三二年八月水俣病患者及びその家族は水俣病患者家庭互助会を結成し、補償を求めてチツソと交渉し、熊本県や県会議員に陳情を続け、昭和三四年一二月末熊本県の不知火海漁業紛争調停委員会の調停に従い、いわゆる見舞金契約を結んだのをはじめ以後七回にわたりチツソから低額の補償を受けていた。昭和四三年九月政府見解が発表されたのち、患者互助会は、見舞金契約を白紙に戻して新たな補償を要求することを決め、チツソと交渉を続け、厚生省へ陳情を繰り返したが、その間昭和四四年初め厚生省の水俣病補償処理委員会にあつせんを任せるいわゆる一任派とこれを拒否し熊本地方裁判所へ損害賠償請求訴訟を提起する訴訟派とに分かれた。そして、本件自主交渉はその後昭和四六年八月七日の環境庁裁決後に認定されたいわゆる新認定患者によつて行われたものである。

被告人川本は、父を水俣病で失い、自らもその症状に苛まれながら、日雇い、臨時工、雑役夫等をして生計をたててきたが、水俣病患者認定申請を二度にわたつて棄却され、不服審査請求に基ずく前記環境庁裁決によつてようやく昭和四六年一〇月六日公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の水俣病患者に認定された。そこで、被告人は新たに認定された一七名とともに直接チツソと交渉して被害の回復を図ろうと考え、同月一一日から一一月一日までの間三回にわたり水俣工場で交渉し、患者一人につき一律三〇〇〇万円の補償を要求したが、チツソは「新認定患者は前の患者と趣旨が違う、補償の基準がないから国の公平な第三者機関にまかせよう」といつて要求に応ぜず、交渉は何ら進展しなかつた。このため、被告人らは工場正門前で座り込みを始めたが、脱落者も出、このままでは苦しむのは患者ばかりだと思い、このうえはチツソの社長と相対で話し合つて解決しようと考え、同年一二月六日上京し、同月七日東京本社で島田賢一社長に面会し、補償要求に対する誠意ある回答を求めた。翌八日再び交渉に入つたが、島田社長は、患者の症状の程度等補償の規律が不明であるとし、すでに一一月二四日チツソにおいて申請していた中央公害審査委員会の調停に従いたい旨答え、具体的な回答をせず、交渉は深夜に及び、島田社長の健康状態が交渉に耐えられないとして交渉は中断されるに至つた。しかし被告人らはそのまま居残り、支援者多数も廊下に座り込んで交渉の継続を求めていたが、支援者は間もなく警察官によつて排除され、被告人ら患者も一二月二四日従業員らによつて実力で運び出された。その間水俣では二九名の患者が新たに認定され、そのうち二〇名に対して中公審への調停申請と引換えにチツソから二〇万円が支払われ、上京した患者の中でも動揺がみられたが、これまで調停ではチツソの責任が明確にされず、低額の補償しか得られなかつたため、被告人は自主交渉を継続することにし、同月二五日から東京ビル玄関前にテントを設置して座り込みを始め、連日支援者らとともに東京本社に赴き、島田社長らに面会を求めたが、チツソ側は社長の健康が回復しだい水俣で話し合うといつて要求に応じなかつた。昭和四七年一月に入つてからも同様の状態が続き、同月一〇日東京本社のある四階廊下へ押し入ろうとした支援者多数とこれを阻止しようとしたチツソの従業員との間で乱斗状態となり、相当の負傷者が出たので、チツソは廊下への出入口に鉄格子を設置し、五〇名ないし一〇〇名の従業員を動員して警備にあたらせたが、患者及び支援者と従業員との間でしばしば衝突ないしもみ合いが繰り返され、双方に負傷者が続出して、平和裡に交渉や面会を行うことは困難な状態になつていた。そこで、同年二月二三日環境庁において、大石武一環境庁長官及び澤田一精熊本県知事立会のもとに島田社長との直接交渉が再開され、同年四月二一日まで六回にわたり交渉が重ねられ、その間患者は一律一八〇〇万円の賠償と内金の支払いは求めたが、チツソ側は内金二〇万円を支払つたものの賠償額については具体的な回答をしなかつたので、交渉は次回の交渉が予定されていたのにそのまま中断した(なお被告人らに対する中公審への調停申請は交渉前環境庁長官の要請により取下げられた)。この時、自主交渉に参加していた患者は被告人を含め一二名となつていたが、被告人らはその後も交渉再開のあてもないまま連日東京本社へ赴き面会を要求し続け、その都度鉄格子と従業員のピケツトにはばまれ、目的を達せず引下がるといろ日が続いた。本件のうち原判示第一ないし第四の事件は、このような状況のもとで起こつたのである。その後環境庁長官の更迭があり、一〇月に入つて新患者認定の発表がなされ、この中から自主交渉を求める患者が出たのを機に、小山新長官立会いのもとでチツソとの交渉がもたれたが、チツソ側は「近く出される筈の公調委の結論に従つて欲しい」と主張してやはり交渉は実らず、一〇月一四日熊本地裁における損害賠償請求訴訟が終結し、訴訟派の人々が上京して同月二五日被告人ら自主交渉派の人々と共に東京本社に赴き、社長との面会を求めた。この経緯は原判示第五の事実に関して当裁判所が認定したとおりである。被告人は、右の件で取調べを受け、同年一二月二七日五件の傷害罪で起訴されたが、この日新らしく就任した三木環境庁長官を訪ね、チツソとの交渉再開を要請した。一方、訴訟派及び自主交渉派の患者達は、水俣市に調査にきていた公調委の委員に民事判決前の調停案提示をひかえるよう申し入れていたが、昭和四八年一月公調委へ調停を申請していた患者の補償額に関する委任状が一部偽造されていることが発覚し、このため結局調停案の民事判決前の提示はされず、同年三月二〇日熊本地方裁判所において、損害賠償訴訟の患者側勝訴の判決がなされた。右判決後、訴訟派と自主交渉派の患者が中心となつて水俣病患者東京交渉団がつくられ、将来の医療、生活保障を求めて交渉がはじまり、三木環境庁長官の仲介や本社内での座り込み等により、七月九日ついにチツソとの間で協定が結ばれるに至り、全患者の判決なみの補償、将来の治療費、介護費、手当の支払いが約束された。ここにおいて、水俣病患者とチツソとの紛争は解決し、昭和四九年一月二八日付で島田社長より原審宛に被告人に対し特に寛大な処分を願う旨の上申書が提出された。

2 被告人と支援者に対する訴追

一年一〇か月に及ぶ自主交渉において、患者及び支援者とチツソ従業員との間で数多くの衝突が繰り返され、双方に多数の負傷者がでるに至つたが、河島庸也の原審証言によれば、チツソ側の負傷者は二〇〇名を越えるといい、他方患者側は、被告人が昭和四七年七月一九日左足指を骨折したのをはじめ佐藤武春、江郷下一美が負傷し、支援者は眼瞼部を一二針縫合する傷害を負つた者ほか多数に及んでいる。そして、東京本社での交渉の過程で生じた事件で起訴されたのは、被告人川本に対する本件起訴と支援者蘭康則に対する傷害罪による起訴の二件であり、チツソ従業員に対するものはない。

なお、自主交渉に関連して生じた事件であるが、昭和四七年一月七日、被告人が、チツソ従業員の態度について労働組合としての姿勢をただすため、支援者及び報道陣とともにチツソ石油化学五井工場に全チツソ労働組合連絡協議会議長を訪ねた際、退去を求める従業員多数から暴行を受け、被告人や支援者、写真家ユージン・スミスらが負傷したいわゆる五井工場集団暴行事件については、不起訴処分がなされている。

三判断

(一)1  八年前「苦海浄土」を発表した原審証人石牟礼道子の新著「椿の海の記」は、不知火海が苦海になる以前の海、海辺の人々、光に満ちた自然、山の神、土俗の神々と幼女時代の作者との交流、交歓が描かれ、自然の匂がきわめて細密に書き綴られている。しかし、その海は水銀汚染によつて今はない。国栄えて山河なしというべきか。

2  西洋の法哲学は、アリストテレス以来、平等をもつて「正義」であるとした。またこれを「各人にかれのものを」という標語によつて示した。なかでもローマの法学者ウルピアヌスは正義を定義して「各人にかれの権利を頒ち与えようとする恒常、不断の意志である」とした。すべての人間に人間たるにふさわしいかれのものを配分するのが正義であり、平等である。それが、法の普遍的理念であるというのである。ラートブルツフは、同様のものは同様に、異るものは別様に取り扱うのが平等であり、正義であり、法の理念であるとした。ベンサムはそれを、より具体的に「最大多数の最大幸福」を実現することであるとし、マルクスは「各人がその能力に応じて寄与し、各人がその必要に応じて享有する」とした。また、フイヒテは理性国家の構想を描き、すべての人々に人間らしい生活を保障することが国家の任務であるとした。彼によれば、人間の人間らしい生活は、一方では社会のためにする勤労の義務を伴ない、他方では社会よりする生活の保障を受ける。ゆえに、国家は、少数の者が豊かな生活をすることよりも、まず、すべての国民に憂ひのない生活を確保させることを配慮すべきである。しかも、人間の人間らしい生活は、単に勤労をもつて経済上の生活の保障を購うというだけでは足りず、いかなる勤労の生活の中においても、仰いで文化の蒼空から心の糧を得られる権利をもたねばならないとする。英米の法諺にも、良き裁判官は衡平と善に従つて裁判し、厳格法よりも衡平法を選ぶとあり、米連邦最高裁判所のコツクス対ルイジアナ事件の判決は、違法ピケのかどで黒人学生が逮捕されたことに抗議するため約二〇〇〇人の黒人学生がアメリカ南部ルイジアナ州、バトン、ルージユ市内を通り、裁判所に至るデモ行進を行つた際、そのリーダーの一人が平穏妨害罪、公共通行妨害罪及び裁判所周辺でのピケやパレードを禁止する法律違反の罪等に問われたのであるが、デモ行進が裁判所の近くに来た時、取締りに当たつていた警察署長が、デモは裁判所を一〇一フイート隔てた通りの反対側にとどまつて一定限度時間内であれば許されると述べていたことに及び、それにもかかわらず、これを信頼して被告人が演説を始めたところ、この演説が煽動的であるとしてデモを直ちに中止するよう命じたことを認定して、このような状況下で被告人を処罰するのは、被告人をワナにかけることになり、憲法の保障する正当手続を犯すとして有罪の州最高裁判決を破棄したのであるが、法の基本理念は公正であり、フエアネスであることがよく示されている。

具体的事件を通じて法と正義とを顕現する使命を担う裁判官は上にのべたような哲学をもつて事に当たらなければならないのであり、その指標となるものは、わが国においては、現行憲法を頂点とする手続法、実体法を措いてはほかにない。まことに、アメリカのトライアルジヤツジのワイザンスキーが先年司法研修所において、いみじくも演述したように、裁判所は、国家権力が濫用されないように監視する義務を負うている、この義務は、有罪の者すべてが必ず罰せられるようにするという義務よりも大きな義務でなければならないのである。

(二)  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する(憲法七六条一項)。具体的事件を通じて、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定するのは裁判所を措いてほかにない(同法八一条)。しかして司法権が発動して司法的抑制機能を発揮するためには、検察官によつて公訴が提起されることが当然の前提となる(不告不理)。わが国の制度では公訴提起の権能は検察官が独占し、そのうえいわゆる起訴便宜主義がとられていて、検察官は、犯人の性格、年令及び境遇、犯罪の軽重及び情状、並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴は提起しないことができる(刑訴法二四八条)ことになつている。検察官が事件を起訴することも、しないこともできるということは、被疑者に対していわば生殺与奪の権能をもつことを意味し、これほど大きな権能を一手に掌握するのは世界の法制度としてみてもほとんど類例がない。検察官の不起訴処分に対してはさきに指摘したように、限られた事件につき準起訴手続があり、また、検察審査会の制度があつて、不十分ながら民意を反映する道が拓かれているのに対し、検察官の公訴提起については、公訴提起後の審理を通じて司法的抑制が加えられることとなつている。

刑事事件にあつては、その本質上、被告人を訴追する政府(直接には検察権の行使)もまた、正義、公平が実現されることを見守るべき義務を有するのであるから、いわゆる必罰主義は右憲法上の要請(適正手続)の前に譲歩を迫られるべき例外的な場合があることを肯定し、公訴提起を差し控えるべき義務がある場合があり、もしあえて公訴が提起され、それが濫用にわたると考えられる場合は、裁判所において公訴の提起そのものに対してその価値を否定することが許されなければならない。

(三)  公訴権濫用論は、検察官の訴追裁量、とくに起訴処分に対する違法性、ことに後述の如く本件の場合には違憲性の審査を中核とするものであり、しかもそれが被訴追者の人権にかかわりがあるだけに、特に本件の如き差別起訴が問題となつているときには憲法の基本的人権の保障条項、法の下の平等保護条項を侵害する差別的な起訴であるかどうかが重要な基準となり、これに加えて他の基本的人権、とくにデユー・プロセスの侵害の場合をとり込んで考察が進められなければならない。

差別的な起訴が法の下の平等保護条項に違背することを容認する右見解に対する最大の反対論拠は、現に法を侵害し、犯罪を行つた者として刑事訴追を受けた被告人が、訴追機関の不平等な措置を理由に、すなわち他の犯罪者は不当に訴追されなかつたという理由だけで自己の刑事訴追を免れる特権を与えられてよいのか、法を侵害する犯罪者に対しては、これを確実かつ迅速に訴追し、法の適用を確保すべき国家的、社会的利益があり、たとえ訴追裁量上の不当があつたとしても、そのことによつて直ちに訴追の客観的な利益は否定されるべきではないというにあろう。しかしながらこれについては、公正な手続、法の平等な運用を重視する見地から、憲法違反の差別起訴に対しては、それによる公訴権行使を訴追上抑制し、被告人にそれ相応の訴訟上の救済権を与えるべきであり、被告人もただやみくもに処罰を免れようとしているのではなく、違憲かつ不当な差別的起訴からの自由を請求しているのだと理解することによつて、右反論は成り立たないものであると解する。

(四)  そこで、検察官の起訴処分が違法な違憲の差別起訴として公訴権濫用となる基準を具体的に考察するのに、この場合検察官の主観的意図も必要といわざるを得ないが、この点についても、さきに指摘したとおりであり、むしろ、客観的事実に重点をおいて、それらの事実の積み重ねから主観的意図を推認することにならざるを得ない筋合いである。本件において重要なのは客観的事実そのものに重点を指向し、それによつて差別起訴であるか否かを判断すべきもので、その根拠としては、憲法一四条一項の平等保護条項がこれに当たるが、何が合理的差別で何が不合理な差別なのかを解明する決め手となるのは、当然他との比較衡量である。同一事件に関与した被疑者の間にあつて、ある者は起訴され、他の者は不起訴ないし起訴猶予となつた場合のように、単に平面的に比較するのではなく、比較の対象が対向関係にあつて、平面的、微視的な観察では足りず、立体的、巨視的な観点に立つて比較衡量することを要する場合のあることに留意しなければならない。本件はまさにその場合であるといつてよい。

およそ、検察官がある事件を立件し刑事処罰を求めるに当たつては、当該犯罪の動機、原因、背景的事実を捨象して現象面のみを見ることは皮相であり、刑訴法二四八条に照らして、むしろ不可能であるとすらいえる。すでに上述し以下にも詳述するとおり、水俣病の被害という比較を絶する背景事実があり、自主交渉という長い時間と空間のさなかに発生した片々たる一こまの傷害行為を、被告人らが自主交渉に至らざるを得なかつた経緯と切り離して取り出しそれに法的評価を加えるのは、事の本質を見誤るおそれがあつて相当ではない。

(五)  以下、本件事案に即して検討する。

水俣病の被害は公害史上最大のものといわれ、今なお、多くの者が有効な治療法が見出せない状況のもとで、病苦に身を苛まれている。当裁判所は原審及び当審において提出された書物、写真、フイルムを通して水俣病に苦しむ患者の姿の一端を見る機会を得たが、この非惨さに対するとき、我々は語るべき言葉を持たない。胎児性水俣病患者の仕草の一つ、四肢を硬直させ痙れん発作を起こした患者の姿は水俣病のすべてを物語つているといえよう。公害は、民事判決も指摘しているように、一方的に惹起され、一方的に被害を与えるものであり、しかも土地を離れないかぎり逃れるすべがないばかりか、しらずしらずのうちに身体がおかされ、原因が明らかにされた時はすでに手遅れの場合もある。そして、被害は多数の住民に及び地域全体に深刻な影響を与えるとともに家族全員が犠牲になることも少なくない。水俣病はこの典型であり、被告人自身患者である本件においては右の特殊性が十分考慮される必要があろう。

さて、水俣病の前に水俣病はないといわれ、その原因究明に年月を要した水俣病であるが、はたしてこれを防ぐ手だてはなかつたであろうか。先に「水俣病究明の過程」で指摘した事項をみるとき、患者が続発し、胎児性患者まであらわれている状況のもとで、当初奇病といわれた段階から一五年間も水銀廃液が排出されている状態を放置しておかなければならない理由は見出せない。熊大研究班による地道にして科学的な原因究明が行われた経過の中で、熊本県警察本部も熊本地方検察庁検察官もその気がありさえすれば、水産資源保護法、同法等に基ずいて定められた熊本県漁業調整規則工場排水等の規制に関する法律、漁業法、食品衛生法等弁護人が引用する各種の取締法令を発動することによつて、加害者を処罰するとともに被害の拡大を防止することができたであろうと考えられるのに、何らそのような措置に出た事績がみられないのは、まことに残念であり行政、検察の怠慢として非難されてもやむを得ないし、この意味において、国、県は水俣病に対して一半の責任があるといつても過言ではない。のみならず、チツソの水銀廃液の放流の原因となつたアセトアルデヒドの製造は国家によつて容認されていたのであるから、被害民の立場からすれば、チツソと異なる意味で国家もまた加害者であるといえよう。チツソ幹部に対する業務上過失致死傷罪による起訴は、昭和三三年七月ころから昭和三五年八月ころまで工場廃液を排出した行為が過失の内容となつているのであるから、当時速やかにこのような起訴がなされあるいはこれを前提とした捜査がなされていたなら、その後の一〇年に近い排出とこれにともなう水銀汚染が防げていたであろうことを考えると、時機を失した検察権の発動が惜しまれるのである。これにひきかえ、排出の中止を求めて抗議行動に立ち上つた漁民達に対する刑事訴追と処罰が迅速、峻烈であつたことは先に指摘したとおりである。

次に、自主交渉について考察するのに、自主交渉は水俣病による被害の補償を求めるものである以上、これを法的に構成すれば、原判決が指摘するように損害賠償債権の履行を求める行動ということになろうが、しかし患者とチツソとの間を単に債権者、債務者の関係として平面的にとらえるだけでは、本件における自主交渉の意義及び被告人ら患者の意図を正確に理解することができないであろう。未曾有の被害、行政の停滞、水俣市におけるチツソの占める役割と被害民に対する市民の反応、チツソの責任回避、会社幹部の被害民に対する対応の仕方の不誠実さ、各種調停による低額の補償、訴訟派、一任派の分裂、新認定患者の登場等長期間にわたる複雑な事情を背景に自主交渉が登場したわけであり、昭和四八年七月九日の協定成立までの交渉の経緯は、公害による被害の補償の一方法を示すものとして、民事判決とともに水俣事件を特徴づける重要な要素となつている。右の協定は、全患者に民事判決なみの補償を与え、今後の治療費、手当等の支払いをも約束するもので、これまでの調停による補償とくらべ格段の内容を有するが、この協定成立にあたつては、民事判決が最も影響を与えているとしても、被告人ら自主交渉派の努力によるところも大きい。このような成果を得た自主交渉ではあつたが、原判示第一ないし第四の事件の時点では、環境庁長官立会による交渉が途絶え、交渉再開のめどは全くついておらず、自主交渉の患者も減少して内部的に苦しい状況にあり、原判示第五及び起訴の時点では、熊本地裁における訴訟が終結し、訴訟派と共同して交渉にあたろうという動きが出、他方民事判決前の調停案提示にむけて公調委の作業が進められるなど事態は重要な局面を迎えていたものであり、自主交渉派のリーダーである被告人に対し起訴がなされたことにより、自主交渉派の患者に少なからぬ打撃を与えたものと認められ、意図するとしないとにかかわらず本件起訴が対立する当事者の一方に加担する結果をもたらしたことは否定できない。もつとも、自主交渉といえども相手のあることであるから、無理に交渉の場につかせることはできず、最後は民事訴訟にうつたえるほかないのであつて、交渉を求めるには限度があろうし、行き過ぎがあれば当然是正さるべきであり、他方チツソにしてみれば業務を遂行するために連日従業員を動員しなければならないのは相当の負担であつて迷惑であることはいうまでもない。しかし何の落度もなく一方的に被害を被つた患者達のチツソに対する感情には容易に抜き難いものがあり、患者に対するこれまでのチツソの対応の仕方をも考慮すると、チツソとしては相当程度我慢しなければならないし、被告人らに行き過ぎがあつたとしても、これに対して直ちに刑罰で臨むのは妥当を欠くといわなければならない。本件の各事実については、原判決も指摘するように、被害者の傷は日常生活において看過し得る程度のものでなく、暴行の態様も顔を殴つたり、腕に咬みつくなど身体に対する直接の攻撃であつて、軽視し難い面を有していることは確かであり、チツソの従業員であるからといつて被害者がこれらを甘受しなければならない理由はない。しかしながら、これらの暴行は、補償の手がかりをつかもうとして必死に面会を要求する者とこれを阻止しようとした者との間で生じた出来事であつて、個人的に被害者に遺恨をもつて行つたものではない。被告人の行為を、水俣病に苦しむ多くの患者とりわけ物言わぬあるいは物言えぬ患者の抗議であると思えば、被告人に対する感情の何程かは減じるのではあるまいか。

自主交渉及び本件行為については以上のように考えるのであるが、被告人に対する訴追の当否を論ずるにあたつて無視できないことは、自主交渉の過程で生じた事件についても水俣病における訴追と類以した不平等が生じていることである。すなわち、自主交渉の過程におけるトラブルでは、チツソ側のみならず被告人ら患者及び支援者にも多数の負傷者が出たことは前に述べたとおりであり、とりわけ五井工場の事件は、面会の約束をとりつけて赴いた被告人や報道陣に対し、多数の従業員が有無をいわさず力を振うという非常識なもので、当時各方面から非難が寄せられたことは周知のとおりである。そして、この事件については不起訴処分がなされた。結局、これらを通して訴追されたのは患者側だけだつたわけである。このチツソ従業員の不訴追ということについて付言すると、被告人の罪責の有無を検討するに過ぎない当裁判所が、チツソ従業員の刑責を確定したり、訴追、不訴追の当否を論ずることが許されないことは明らかであり、当裁判所も五井工場等の事件の不訴追が不当であるというのではない。ただ、どちらの側にも理由のある行為によつて生じた事件で双方に負傷者が出ていること、そして片方は全然訴追されていないという事実は、もう一方の訴追にあたつて当然考慮さるべき事情であると考えるのである。

このように本件事件をみてくると、被告人に対する訴追はいかにも偏頗、不公平であり、これを是認することは法的正義に著るしく反するというべきである。

(六)  検察官は、こと検察事務に関して、一人ひとりが独立の官庁として、その権限と責任において事を処理するものであり、検察官は、その良心と法令の命ずるところに従つて事務を処理すべきものである。しかし、他面において、検察権も行政権の一作用であるから、検察権の行使が全国的に均斉になされることは、事が国民の基本的権利義務に関する事柄であるだけに、極めて重要である。このような要請を満たす上に最も適切な方途の一つとして認められているのが検察官同一体の原則である(検察庁法一条、四条、一一条、一二条参照)。担当の検察官として、本件公訴を提起するに当たつては、現地熊本地方検察庁と密接な連絡をとり、水俣病をめぐつて起こつた紛争に関する刑事事件の処理状況について適確な情報を得たうえで本事件を処理すべきであつたと考える。

当代の検察権は、すべからく時代のすう勢を達観し何が重要で、何が重要でないか、活眼を開いてその指向すべき方向を見定め、常に清新にして溌らつ真に国民の希求する検察の遂行を期することこそ肝要である。決して弱い者いじめに堕することがあつてはならないのである。

原判決は、弁護人の、起訴猶予の裁量を逸脱した起訴であるとの主張を排斥する理由として、「もつとも、所論のごとく、本件公訴の提起が、会社側に一方的に加担し、被害患者を迫害する公訴の提起であるとすれば、検察官の故意またはこれに相当する重大な過失により、起訴に際しての訴追裁量を誤つたものとして、公訴権濫用による公訴無効を論ずる余地が存しないではないであろう。」といいつつ、「本件審理にあらわれた全証拠を検討しても、検察官のかかる故意または重大な過失を推測すべき点は全く認められないのである」という。原判決のいうとおり、公訴権濫用の存否の判断に検察官の主観的意図も必要であることは、これを肯認すべきであるけれども、かかる主観的要素は、直接これを立証することが不能ないし著しく困難であることは、前述のとおりであり、従つて、かかる要素の存在は、背景事実から、これを推認する以外にはなく、かかる客観的外部的事情から推認することが可能な以上、これを是認するのでなければ、公訴権濫用の理論は画餅に帰すといつても過言でない。これを本件についてみるに、既に詳述したもろもろの事実関係、すなわち、重大かつ広範囲な被害を生ぜしめたチツソの責任につき国家機関による追求の懈怠と遅延、これにひきかえ、被害者側の比較的軽微な刑責追及の迅速さ、それに加えてチツソ従業員の行為に対する不起訴処分等々の諸事実がある以上、当裁判所としては、国家機関の一翼を担つている検察官の故意又は重大な過失が推認されてもやむを得ないと判断する。すなわち、当裁判所は当審において弁護人の請求により、この点を審理するため訴訟的事実関係について資料を追加した結果を綜合して、本件は訴追を猶予することによつて社会的に弊害の認むべきものがなく、むしろ訴追することによつて国家が加害会社に加担するという誤りをおかすものでその弊害が大きいと考えられ、訴追裁量の濫用に当たる事案であると結論するのである。

検察官は、原審の最終意見において被告人に懲役一年六月を求刑し、原判決は、公訴権濫用の主張は排斥したものの、被告人を罰金五万円に処するとともに一年間右刑の執行を猶予すべきものとした。このことは、被告人の有罪を認定しつつもその可罰性の程度が著しく微弱であり、刑はノミナルなものにとどめるべきものとしたと考えられる。当裁判所は、百尺竿頭一歩を進め、本件は公訴を棄却することによつて結着をつけるべきものと判断するのである。

(七)  以上の次第で、本件公訴提起の手続は刑訴法二四八条の規定に違反し無効であるから、同法三三八条四号によりこれを棄却すべきものである。しかるに、原裁判所が本件公訴を受理して実体判決をしたのは、不法な公訴の受理に該当するといわざるを得ない。それ故、その余の控訴趣意について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三七八条二号により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則り自判する。

本件公訴の提起は前述の理由で無効であり、刑訴法三三八条四号によりこれを棄却することとして、主文のとおり判決をする。

(寺尾正二 山本卓 田尾健二郎)

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